キャンパス内の木を大幅に伐ってどうするかと思ったら、サクラとシラカバを列に植えていた畜大。自分のキャンパスに野生生物の学問を適用出来なかった帯広畜産大学。
実は出来なかったのではなく、その学問がなかったのだ。
動物なり植物なり、そして社会なり、持っていた学問を結んで生かすための学問がなかったのだ。
生物個々は研究できても、これを社会に適用したり、自然を復元したり、景観を評価したりする総合的な学問が実はないのである(だからただの池をビオトープなどと恥ずかしげも無くいうのだ、ふさわしい管理目標も何も無い)。それでは自分らの学問を一体どうやって生かすつもりなのか………それは(野生生物系は)もともと考えていないようだ。
なかったからしょうがない期待するのが間違い、とも言えるだろう。伐採に腹を立てていても、将来の景観(ただの眺めではない)を目標に計画的な提案をした人も非常に少なかった。つまり、学問レベルでは変わらなかった訳だ。
(それにしても、獣医畜産食品系へのハードの手厚さに対して、野生生物系学問への冷たさを感じたのは私だけだろうか。野外のキャンパスを学びの場とする発想を積極的に述べる空気がほとんど感じられなかった。)
昨年のキャンパス内の伐採問題でよくわかった。伐るか伐らないかでなく、(野生生物の学問がある大学のレベルに照らして)たいした考えもなく植え、たいした手入れもなく、伐った後のフォローもあれかい。どんな理念でどんな学問?そこで学んだ学生はどんなレベルになるの?という問題意識を述べる人も稀だった。この辺が実は「帯広の森」の意義と重なってくるのだが…。
その畜大が「十勝の森を考える」という講座を昨年12月に行った。十勝の自然をろくに見ていない内地の研究者に「帯広の森」の真っ当な評価は、いくら優秀であっても無理だろう。どうしたってそれまでの自分の経験尺度で言うしかない。
十勝の平地林は扇状地の上に火山灰が断続的に積もって成り立つカシワ林と湿性林の隣接、内地より早期の皆伐と耕作地化、奥山とほとんど断絶した孤立林、そのことで生まれる自然観と共生的文化の劇的な貧困、そしてこれらが招いた事業化過程から現在における人間の圧倒的器量不足が招いた諸問題……。
などなど……帯広の森はあらゆる面で難解だ。件の講座では、軸となるべき行政や管理作業、調査情報の共有の問題を、いろいろな人の考え方の違いのように思い違いをされているように思われた。ここは公園だから、こうしなければいけないという一線を守らなければ、目指すべき景観は崩壊するのだ。内地の人には400haという大きな自然の公園を作るなんてことは想像できないのだろう。
正直言うがこの畜大の講座は、長年帯広の森で少しずつ森を後押ししてきた私たちにとって、大変迷惑だった。この40年以上、いくつかの調査研究(林床植生の調査そのものは大変重要であった)を除き畜大は直接森を作ったり、帯広の森を全体的に評価するようなことは行っていない。学生をその気にさせたりもしていない。
40年間の自然復元をまじめに追えるなんてすごい機会だったのに…やっていない。。
にもかかわらず、あの講座はなんのつもりなのか?いままでやってきて無いでしょ?なんで?
迷惑である。自分達が似た迷惑をかけられたらどう思うか?
とても無神経だと感じる。こんど。キャンパス内の森のことをやいのやいの言ってやろうか?嫌でしょう?
以前複数の他の大学が「帯広の森」の研究をしない理由として「あそこは畜大さんがいるから」と言っていた。
それは大きな間違いだとわかるだろう。
畜大は「もはや」あてにしてはいけない。彼らにとって重要なフィールドではないのだろう。
なんとも、勿体ない。
「帯広の森」は世界でも最大規模の自然復元、しかも街の隣、大学の隣なのにその気がないんだって!
他の大学の皆さん。畜大に気を遣っているのが本当なら、それは損してますよ。先を争って調査研究の対象にするべきでしょう。
行政もそういう宣伝して胸を張ったらいいのに。どちらにしてももったいない。