エゾリスの会非公式ブログ(仮)

北海道帯広の環境系まちづくり団体「エゾリスの会」会員による非公式ブログ(仮)以前のブログ→http://d.hatena.ne.jp/noken/

雑誌faura(ファウラ)がクマタカの私物化画像を掲載(書き換え加筆)

北海道の自然を表現し、考える月刊誌「faura(ファウラ)」が、クマタカに異常接近し続け、私物化を表現した画像をインスタグラムに掲載しました。その流れで撮影された画像が特集で使われるとのこと。「ツメに触ることが出来ました」と書いてありました。

このようなものが肯定されるのなら、北海道の野生生物は全てカメラマンの私物となってしまいます。
このカメラマン、この雑誌はなぜこの画像を掲載したのでしょう?

実は編集者にはお知り合いもいますが、それを見たときは失望の一言でした。
カメラマン中心の価値観では、いつか似たようなことが起こりえると感じてはおりましたが、あまりにも予想以上で……最初にこのエントリを書いたときから数日間病んでおりました。

あんなにも強い「負の力」を感じる写真に出会ったのは生まれて初めてです。
エントリ当時のものには画像を載せておりましたが、あまりにココロに毒ということもあり、削除いたします。

この事例に限らず、世の中、カメラマンのステイタスをあげすぎではないでしょうか。
ブログ管理人の経験では、カメラマンだからと自然を正しくみているとか、洞察力に優れているとか、そんな人はいません。皆、普通の人です。自分の普通の欲にしたがって写真を撮っているだけなのです。
この状況が続けば、欲を愛だと勘違いする人がたくさん出てくるのでしょうか。

ステイタスをあげすぎたので、みんな思いあがって生きものを思い通りに動かしていいと、そうしても賞賛してくれると思っているのだろうか。

あまりのショックに、fauraはもう…と感じたことは事実です。しかし、北海道のヒトと自然を取り巻く種々の状況をみると、あり方を再考しながら続けていって欲しいと考え直したところです。
写真や撮影者の価値観に寄りかかりすぎた本作りでなく、様々な分野や価値観を導入し、ちゃんとその裏付けなり、批判的見方が出来るようなモノづくりをしていただきたいと切に願います。

また、撮影者の方はお知り合いではないのですが、いくつかのコメントを読むに「撮影対象への強力な依存状態」であると想像します。あくまで想像です。なんの証拠もありません。
よく聞かれる「ハクチョウはわが子」とか、野良猫への餌付けに執着する方に似たものを感じますが、それらに比べてとても根が深いように思えます。ですから、私が上に書いたようなカメラマン云々の理屈とは別な側面があるのかも知れません。

「依存」と考えると、自分があの画像に「強い負の力」を感じたことに合点がいくのです。

強い依存だった場合、当人がそれを自覚することがまず必要です。外部の人の言葉や努力ではどうにもなりません。まわりは気がついているのだろうか……余計なお節介かも知れませんがちょっと心配です。

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釧路市動物園クマタカ