エゾリスの会非公式ブログ(仮)

北海道帯広の環境系まちづくり団体「エゾリスの会」会員による非公式ブログ(仮)以前のブログ→http://d.hatena.ne.jp/noken/

「帯広の森」と林業技術・思想との明確な線引き

エゾリスの会の間伐は、とてもゆっくりである。S59東とS61植樹区でおこなっているが、もう20年くらいになる。今回は1本だけ。
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おそらく林業が身についてる人は早くいっぺんに除間伐したくなると思う。しかし、地面がもと畑であり、埋土種子など遺伝資源にあまり期待できず、むしろ外来種が待ち構えているような(この事実は調査済み)環境で、「林業伐り」すると、外来種優位→草刈り→在来種の実生も抑制→環境の単純化 という悪循環を招く。林業技術をそのまま適用すると明るすぎるし、いっぺんにやりすぎて調節が効いていないのだ。

日本の林業技術は、平地の畑だったところは前提になっていないし、そもそも自然復元は配慮すべきことにはなっているかもしれないが、目的ではない。木材生産か今ある森の維持であり、それは「山」が環境となっている。
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帯広の森」には教科書がない、目標となるべき自然を見て、植えた森の自然を調べながら、森に習って順応管理することが必要だ。つまり教科書は自然の森であり、教科書は目の前の「帯広の森」である。
原生的自然の森のエリアは、ずっと自然化を目指せば良い。それはそれで難しさはあるが、まだはっきりしている。
問題は、人の入り込みの多さによって分けられている、森、と散開林 である。利用しながら自然が自律的に保たれる、これは高等技術だろう。
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頭ではわかっても、実際に行動を変えることは難しいが、「帯広の森」と「林業」は一部の技術が共有されているだけで、向いている方向はまるで別物だと認識すべきだ。
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もし必要なら管理者が予算でやることだ。市民団体にそれを広げるのは、森に対する誤解を広げ、定着してしまうのではないか。
市民団体に森をまかすリスクについては、エゾリスの会が森で初めて管理活動の申請をした時に、当時の担当者の方から繰り返し伝えられ、そして、まず調査して論文を書くように伝えられたのだった。そしてそれは果たされ続けている。
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だから、管理者はそのけじめを守り、責任を遂げることが、「帯広の森」事業を成すために先ず必要なことだと思うのは自然だ。

手前の若木は間伐の効果
左のチョウセンゴヨウを伐る
ギャップ。次の冬に次の木を伐る。

トヨタソーシャルフェス TOYOTA SOCIAL FES!! Presents クリーン北海道プロジェクト 10/15開催

toyotafes.jp

帯広の森」について学び、その手で十勝の森を再生しよう!

誰でもできる森を自然にかえす活動です!

市民が植えた『帯広の森』。初期の森は数割の針葉樹によってくらさと湿気を保ち、外来種を抑制しながら、本来目指すべきカシワ中心の林を目指して来ました。

エゾリスの会が担当するエリアでは、ここ10年で広葉樹が大きくなり、林床に徐々にオオバナノエンレイソウなど林床植物が目につき始めました。

森の入り口に案内板を立てる

針葉樹は徐々に役目を果たしつつありますが、急に林内を明るくしないように徐々に減らしつつ、林床を調査し、良い管理のあり方を模索しています。その結果、「帯広の森」のスタンダードな管理のあり方を森から学びつつある現状です。

この中で、管理対象となっているのが、エゾリスによってせっせと植えられたチョウセンゴヨウです。この辺の説明は、ソーシャルフェスの本番に譲りますが、林床も含め、このエリアを十勝本来の森に近づけるため、針葉樹の芽生えを抜いて、広葉樹の芽生えのスペースを作るのが今回の活動です。

つまり、どなたでも森づくりのお手伝いができます。
そのおりに出現した動植物についても多少解説することができます。この機会に、「帯広の森」を知りたい、関わりたいと思う方は、上のリンクより、申し込みください。

下のリンクは昨年のソーシャルフェスのようすです。

archive.toyotafes.jp

間伐の意味と間伐材の使い方

施業(林業)の世界では、売却すれば間伐、そうでないものを除伐と呼ぶのが正式と聞いています。私たちは区別せずに間伐と呼んでいます。「帯広の森」は都市公園ですし、目指すのは森です。林業は目指しません。

*切り口に埋もれた枝の跡。これは「育樹祭」の痕跡です。育樹祭の実施はとても画期的なことだったと言えます。

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林業では、収穫するためのいい木(太くて真っ直ぐな)を作るため、選木して間伐します。しかし、「帯広の森」は「材」は目的ではありません。

「高木層を充実させる」
一見、材を太らすことを目的なようですが、違います。「森にする」ことが目的なのです。高木層の役目はいろいろありますが、一般の方がおそらく思いつかないのは、

樹冠をつくり、林内を適度な明るさ/暗さに保つ」

ということでしょう。
明暗のコントロールが最重要な役目です。特に、植樹後40年くらいまでは明暗のコントロールと、高木の成長のバランスに腐心し続けると言っても過言ではありません。明るすぎるとオオアワダチソウなど外来種の繁茂を招き、これを制圧しようと草刈りを徹底すると、自然林の林床植物がほとんど生育できなくなるばかりか、次世代の高木も育たなくなります。

間伐材で作った椅子とテーブル。その背後のしっとりした林床。

慎重に、順応的な管理が必要となります。しかし、人間はつい勢いでやりすぎる。効率を求める。それが「罠」です。我々がしているのは林業ではないのです。

また、区分によって技術的な違いが生じます。
エゾリスの会が担当している林では、「原生的自然の森」が大半ですから自然林を目指せば良いのです。
しかし、それ以外の区分もあります。

帯広の森の森づくりガイドライン
https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/940/guidelines.pdf

では、人の利用程度によって、「森」「散開林」にも分けられています。特に「森」では人が利用しながらも、いろいろな生物、自然と触れ合えることを目標としています。利用すれば林は消耗、撹乱します。これに負けないように自然を保たなければいけないので、「原生的自然の森」よりも難しい管理が必要となるでしょう。

林床の明暗のコントロールを少し述べただけで、こんなに長くなるのですから、ほかのさまざまなことを読んでもらえるように述べるのは大変です。
しかし、そのぶん、実際の作業には面白みがたくさんあります。あんなにしつこかったアワダチソウが衰退し、オオウバユリやオオバナノエンレイソウなどがいつの間にか花を咲かしているのを見ると、うまく行った!とニンマリします。

エゾリスの会ezorisunokai.jpでは、さらにこれを数値化し自然林へどれだけ近づいているか評価するための調査をしています。

看板にしたり、椎茸のホダ木にしたり

  

帯広市長選挙 「帯広の森」を見もしない、手足も使わない、森に関わってこなかった人が,そのまま「帯広の森」をいじったらどうなるのか。

YouTube市長選挙公約の帯広の森やその周辺の動画を見たが、ほとんど森や公園そのもののことを言っていなかった。

 ただそこに「食」持ってくるんだと。それは「食」の話でしょ。公園とは何か、帯広の森の今までの積み上げ、課題問題は何も言わずに、「植樹したので利活用を考えないと」とほんとに言っていた。まるで植えたらすぐ森になるかのように。

切り株
ゴミ拾い

 しかも「市民」と話したと言う。その市民も現職も一切自分の手足も目も使っていない。森に関わっていない人間の気分だけでしょう。森の可能性のヒントは、森の管理作業の中にある、そのような成り立ちができてやっと文化が生まれる。収奪の対象として見るなら昔と同じだ、何も新しいものはない。

ほっておけば森ができると思っているのだろう。(特に)植えた森はそうではない。それがわからないのでしょうか。

 収奪であったとしても、利用可能となるには十分な資源〜人が利用できる森からの利子〜が十分でなければいけないし、それが管理可能でなければいけない。自然が復元しているかどうかを見極めながらの管理、つまり「順応的管理」が徹底できていない今の状況で、さらに状況を複雑化させてうまく管理できるはずがない。

 100%無理とは言わない、やり方はあろう。が、たどり着くまい。 「帯広の森」に限って言えば、いまの行政、管理者、市民の現状では絶対に悪いことになる。もし結果、何もしないことになっても、長短こそあれ、森にずっと関わってきた市民たちはその論議の中で疲弊し、モチベーションを奪われる可能性もある。
 森づくりに関わってきた市民を無視してあのような言葉が出てきたのだ。どのような感情になるか、わかるだろう。
 森の自然も人的環境も悪化が想定される。
 当たり前の森づくりが今までちゃんとできていれば、不可能ではなかったのに。

 森や公園の本質について語らないことが「とってつけ」の印象を強くしていることも、こう考える原因だ。

キツネ
キツネの巣

 残念だが。十勝人が自然資源を持続的に利用した歴史は非常に少ない。全部壊して好き勝手に利用できるヒトのための土地に変えた人たちだからだ。そしてそれを基本から変えるヒントが「帯広の森」にはあるのに……その価値が見えないのだろうか。

 私たちはそのようなヒトたちの「利活用」とやらにさらされても、自然を保ち続ける帯広の森をつくる方法を模索し、実践している。十分に楽しい。

調べる
冬至祭」

どこの大学も「帯広の森」を研究してほしい!

キャンパス内の木を大幅に伐ってどうするかと思ったら、サクラとシラカバを列に植えていた畜大。自分のキャンパスに野生生物の学問を適用出来なかった帯広畜産大学

実は出来なかったのではなく、その学問がなかったのだ。
動物なり植物なり、そして社会なり、持っていた学問を結んで生かすための学問がなかったのだ。
生物個々は研究できても、これを社会に適用したり、自然を復元したり、景観を評価したりする総合的な学問が実はないのである(だからただの池をビオトープなどと恥ずかしげも無くいうのだ、ふさわしい管理目標も何も無い)。それでは自分らの学問を一体どうやって生かすつもりなのか………それは(野生生物系は)もともと考えていないようだ。

なかったからしょうがない期待するのが間違い、とも言えるだろう。伐採に腹を立てていても、将来の景観(ただの眺めではない)を目標に計画的な提案をした人も非常に少なかった。つまり、学問レベルでは変わらなかった訳だ。

(それにしても、獣医畜産食品系へのハードの手厚さに対して、野生生物系学問への冷たさを感じたのは私だけだろうか。野外のキャンパスを学びの場とする発想を積極的に述べる空気がほとんど感じられなかった。)

昨年のキャンパス内の伐採問題でよくわかった。伐るか伐らないかでなく、(野生生物の学問がある大学のレベルに照らして)たいした考えもなく植え、たいした手入れもなく、伐った後のフォローもあれかい。どんな理念でどんな学問?そこで学んだ学生はどんなレベルになるの?という問題意識を述べる人も稀だった。この辺が実は「帯広の森」の意義と重なってくるのだが…。

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ログハウスの番人

その畜大が「十勝の森を考える」という講座を昨年12月に行った。十勝の自然をろくに見ていない内地の研究者に「帯広の森」の真っ当な評価は、いくら優秀であっても無理だろう。どうしたってそれまでの自分の経験尺度で言うしかない。

十勝の平地林は扇状地の上に火山灰が断続的に積もって成り立つカシワ林と湿性林の隣接、内地より早期の皆伐と耕作地化、奥山とほとんど断絶した孤立林、そのことで生まれる自然観と共生的文化の劇的な貧困、そしてこれらが招いた事業化過程から現在における人間の圧倒的器量不足が招いた諸問題……。

などなど……帯広の森はあらゆる面で難解だ。件の講座では、軸となるべき行政や管理作業、調査情報の共有の問題を、いろいろな人の考え方の違いのように思い違いをされているように思われた。ここは公園だから、こうしなければいけないという一線を守らなければ、目指すべき景観は崩壊するのだ。内地の人には400haという大きな自然の公園を作るなんてことは想像できないのだろう。

正直言うがこの畜大の講座は、長年帯広の森で少しずつ森を後押ししてきた私たちにとって、大変迷惑だった。この40年以上、いくつかの調査研究(林床植生の調査そのものは大変重要であった)を除き畜大は直接森を作ったり、帯広の森を全体的に評価するようなことは行っていない。学生をその気にさせたりもしていない。

40年間の自然復元をまじめに追えるなんてすごい機会だったのに…やっていない。。

にもかかわらず、あの講座はなんのつもりなのか?いままでやってきて無いでしょ?なんで?


迷惑である。自分達が似た迷惑をかけられたらどう思うか?
とても無神経だと感じる。こんど。キャンパス内の森のことをやいのやいの言ってやろうか?嫌でしょう?

以前複数の他の大学が「帯広の森」の研究をしない理由として「あそこは畜大さんがいるから」と言っていた。
それは大きな間違いだとわかるだろう。


畜大は「もはや」あてにしてはいけない。彼らにとって重要なフィールドではないのだろう。

なんとも、勿体ない。

帯広の森」は世界でも最大規模の自然復元、しかも街の隣、大学の隣なのにその気がないんだって!

他の大学の皆さん。畜大に気を遣っているのが本当なら、それは損してますよ。先を争って調査研究の対象にするべきでしょう。
行政もそういう宣伝して胸を張ったらいいのに。どちらにしてももったいない。

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北海道へ自然を求めてきた観光客の方々に是非言ってほしい言葉があります。

北海道へ自然を求めてきた観光客の方々にお願いがあります。

公共的な場で野生の鳥獣に餌付けしているのを見たとき、場合によっては自慢して勧めてきたりした時、是非言ってほしい言葉があります。

「そんな野良猫のようにされた動物をみるために北海道に来たんじゃありません」

野生動物 のところは エゾリスでも野鳥でも、キツネでもあるいはヒグマでも…

光景としてかわいければなんでも許されると思っているのが愚かです。小鳥やリスへの餌付けはそのままヒグマへの餌付け問題につながっています。

野生動物を欲望の消費対象としているという点で、これらはつながっているのです。

そのような想像力のない人は自然を壊します。

ですから、北海道らしい自然を求めて観光にいらした方には是非そう言っていただくか、新聞への投書、あるいはSNS、トリップアドバイザーのような評価サイトなどへの発言をお願いいしたい。

いま、北海道の自然は北海道の人によって内部から破壊され始めています。多くの道民は自分達のすむ場所の自然の価値に気づかず、刹那的な欲望の発露の場所としてのみ価値を見出しているのです。

人を見たら集まってくる野良猫のようなエゾリスを見に、北海道に来ますか?

帯広の森パークゴルフ場内でエゾリスへの餌が撒かれていました

本日の調査の折発見したものです。餌は芝生上の植栽木の根元に撒かれたかぼちゃの種です。
パークゴルフ場は「帯広の森」の中にある施設です。なるべく森の自然に影響がないように利用すべきでしょう。
帯広の森」の中でも、当然、餌付けはしないでください。

理由はこれまでブログで述べた通りです。餌付けは結局リスを殺します。必要性も全くありません。

もしリスの環境を心配するなら、森づくり活動を学んで、ガイドラインを守って森の自然を作っていくべきところです。

もし続くようであれば具体的な対策が必要となるでしょう。

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回収したカボチャの種。